勝手に慕っている人生の先輩に言って頂けたこともあり、
少しずつブログに考えたこと等々、書き溜めていくことにした。
今回のお話は、安保法案の件を受けて、3つ。
今の日本全体に対話する姿勢が少しだけ足りていなくて、私はまた役に立てなかったなということ。
ソーシャルとかNPOの界隈というか、アクティビズム・良き市民と政治はどうつながればいいのだろう、ということ。
そして最後に、自分の原点を思い出した、ということ。
良心と対話
安保法案の件で、母校同志社大学の学長が法案支持を表明し、教職員有志がそれを批判しているとのこと。
この場で、本件に対する賛否を述べるつもりはないのですが、考えたこと。
「一国の良心を育てる」という同志社の良心主義教育。
私の周りには、SNS等で安保法案反対を表明している人も一定数いるのですが、
この同志社の件は、良心VS良心の戦いなのだと見ています。
安全保障という切り口で良心を発揮する人もいれば、
人道主義の観点で良心を大切にする人もいて、
憲法の見地から良心を表現する人もいる。
ひとつひとつの良心が、どうすれば1つの方向を向いていけるのか。
どうすれば、良心が、より「既得権益保護から公共善へ」と広範をカバーできる良心に育っていけるのか。
(あるいはそれって本当に可能なのか?)
凄く難しい問題で、今回に関しては、少なくとも良心同士がきちんと向き合い、
対話する努力が国会、あるいは日本中に少し足りてなかったのかなと思う。
そして、その割には、結構大事なことを、エイヤーで決めてもうた気がしている。
自分は、いつもソーシャルイノベーションだの対話だの言っているくせに、
また何も出来なかったんだなと強く感じた。
日本のソーシャルセクターとアドボカシー
昔から、公私ともにNPOやソーシャルイシューに関心があって何か活動をしている人達と仲良くさせてもらっている。
今回の件でも、みんなSNSで本当に色んな意見や感情を発信しているし、
それらひとつひとつが、とても言葉として磨かれている。
しかしながら、言葉が磨かれていることと、下記の2つのことは実は別問題だったりする。
1つは、(今回であれば)「安全保障」「人道」「憲法」等のファクターを複眼的・科学的・人間的に捉え抜けているかどうか。
もう1つは、その意見を伝えねばならない人(今回だと議員やメディア、PMか?)に届けられているか。
(今の自分などは最悪で、明確に賛否を明らかにしない姿勢で、自分を安全な位置に置いてしまっている感さえもある。内省よりも前に猛省しろと自分に言いたい。)
今回のように国策や選挙結果等が大きく動く時に、
NPOや企業等でリーダーとして活動している、良き市民だなあと思える人が、
「自分は自分のフィールドでやれることをやる。まずは、そこから。」
的な意思表明をしておられることをしばしば見かける。
それは総論、素晴らしいと思うがしかし、
ホンマにそれでええんかいな、と思ってしまうことがある。
何故なら、そういう人は、既に自分のフィールドでめっちゃ頑張ってるから、
自分のフィールドに52万投下している力を気合で53万にしたところで、
恐らくその53万の戦闘力が、結局は国の趨勢を左右する政治に影響を与える可能性は高くないのではと自分は思っている。
論理と情を兼ね備え、素晴らしい言葉を持つ良き市民だからこそ、
(直接的に議員に立候補しないまでも)その優しさを含めた才覚が、
アドボカシーのような形で政治とつながるには何が必要なんやろうかと考えさせられた。
自分でソーシャル界隈(?)に長いこと居てて思うが、皆さん、自分の仕事でとても忙しい。
だからこそ、上記1つめのマクロな視点での学び合いを誰かが労を取って演出し、
2つめの、政治を変えるor維持する上でのクリティカルパスに、社会リーダーの力を効率よく投入する為の選択肢を整理する(=補助線を引く)ことが凄く大切なんだろうなと改めて考えた。
1については、例えばソーシャル界隈(?)の人達を集めて政治哲学や国際関係の勉強会するとかいう形で、Harnessing for Changeとしてもコンテンツとして取り上げられればと思う。
(NPO・ソーシャルビジネスに関わる人間こそ、社会観を鍛え続ける必要があるというのが私見)
2については例えばこちらのリンク先(新潟の法律事務所さん)のような形で、「今のフィールドにいながら」出来るアプローチが整理・周知されていけばよいなと思う。
*2は、安保法制反対がテーマですが、私の見解とは関係ありません。
奇骨ある一国の良心として
にしても、良心主義という大義に背くと見るや、
組織のトップが相手でも斬りかかる同志社の教職員すげえな、さながら幕末の京都やなと。
本件への賛否とかはさておき、これは凄いと思った。
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| 社会起業家ブーム前の京都でのNPO活動は、さながら幕末みたいでおもしろかったなと。自分の原点のひとつ。 |
学長を実名で批判している教授名見てたら、私が学んだ社会学部社会学科の教授が、
ゼミ&卒論の指導教官含めてほとんど入っとるやないか!ということにも気付く。
そんな社会学科で4年も教育を受けたから、私みたいな変なソーシャル維新志士風の若者が社会に輩出(排出?w)されたんやろうなと思う。笑
維新の元(はじまり)という名前に込めてもらった想い、
奇骨たる一国の良心であれという期待に、まだまだ応えられていないこの悔しさ。
まずは、悔しさと向き合い、受け入れることから。
一度弾かれても、二段構えの斬撃を打ち込む、飛天御剣流の精神で攻め続けていきたいと思う。
諦めた方が負け、最後は気持ち!!!と技術!!!
(とりあえず、目先できそうなこととして、上記で書いた
「NPO・ソーシャルビジネスに関わる人間が社会観を鍛える場(仮)」はまじめに検討したいと思う。)
