2015/09/14

世界のNGO TOP500ランキングとソーシャルインパクト(序章?)

NPO・社会的企業に関わったり、支援している若手・ミドル層の仲間と自主勉強会&飲み会を実施しました。
今回のテーマは、「世界のNGO TOP500ランキングに見るソーシャルインパクト」
 
スイスとアメリカ合衆国に本拠を置くGlobal Journal誌の調査による「TOP 500 NGOs」というランキングを肴に、教育、震災復興、中間支援等のNPOで働いていたり、研究に取り組む仲間が集合。
(TOP10以降は有料コンテンツの為、研究開発費と思い、自費でオンライン年間購読を決意しました。笑)

とりあえずやってみよう!という呼びかけで集まってくれた仲間たち。感謝です。

「やっぱバングラデシュのBRACって規模半端ないな…(一同騒然)」
「日本はどこがどれだけランクインしてる?(一同興味津々)」
「難民支援の世界トップはここだけど、日本の代表的な団体と評価軸をApple to Appleにして比較したら何が違う?」
などなど、日曜の午後からマニアック極まりない話題で盛り上がる若手・ミドル達。

BRAC、従業員11万人。グローバル大企業かってレベルですよね。

議論が進むにつれて、純粋な疑問として出てきたのが、「社会的インパクト(Social impact)って結局何やねん」ということと、「未来の社会インパクト評価の軸って何なんだろう」ということ。
決して、数えられそうな数字を数えて、見せる化するのが社会的インパクト評価なのではなく、丁寧にシステム全体を見ながら、押すべきツボをきちんと決めることが必要なのかなと。
今日は、そのあたりについて共有させて頂ければと思います。


このランキングの主要査定基準は、革新性・社会インパクト・持続可能性なのだが、ランクインした団体を見ていると、国際開発系やBasic Human Needsを満たすポテンシャルが高い国で活動する団体が非常に多かった。
特に社会・経済インフラをこれから整えていく国・地域において、識字率や雇用という基準は社会的インパクトの指標としてとてもわかりやすいが、日本のような社会・経済インフラが相当整っている国における社会的インパクトとは何なのだろうか、識字率や雇用という指標だけで測られるんだろうか、という疑問が生まれた。
*国際開発やBHNを満たすポテンシャルが高い国での活動はそもそもハードル自体高いということは理解・イメージしつつ、状況に応じて適切なインパクトの測り方があるのでは、という話をしています。


「近所に学校がなく、学校に行きたくてもいけない子どもが学べるようにすること」と、「近所に学校はあるが、様々な理由で学校にいかない子どもが学べるようにすること」とでは、物事の成功を測る指標が異なる。

前者の状況なら、学校を建てて先生を雇うことが解決策であり指標になりそうだが、後者の問題なら、学校に行かない理由の調査が必要な上に、学校に行かせることがベストな解決策なのかと言えばそうでもないように思える。

何故なら、前者の問題は「物理的に近くに学校がないから学べない」という原因と結果が比較的わかりやすい問題なのだが、後者の場合は原因と結果の組み合わせが複数考えられる上に、ひとつの原因を潰したからと言ってすぐに結果が出ないものもある。
原因と結果が単線ではなく、時間の概念も加わっている=原因と結果がダイナミックになっていると言っていい。

こうしたダイナミックな複雑性 Dynamic complexityから生まれる問題を解決する為に、問題の背景にある社会の状態をシステムとして捉える、因果関係をマッピングする必要があると思っている。


大局的に観て、困りごと・課題は何か。
課題マップ・システム図を描くとするとどのようになるのか。
具体的に、どこの誰が、どのように困っているのか。
状況をより良くする為に、誰が、誰に対していつまでに何をするのか。
最良の結果の為に手を取り合えるプレイヤーがいるとすれば、それは誰と誰か。


逆説的だが、社会システムの複雑性も踏まえて、本当に意味のあるインパクトを出そうと思ったら、ステークホルダー間の対話を通して上記を明らかにした上で、活動領域・内容そして評価軸を設定することがまずスタートラインになると感じた。
加えて、社会というのは未来に向かって進んで行くもので、現在の社会での課題が、5年・10年後に課題とも限らず、時間軸という観点も必要になる。

こうして考えていくと、本当に私見レベルだが、先進国であろうが途上国であろうが、本当に社会に必要とされるインパクトを出し、評価していくには、「社会システムの把握・分析」と「社会インパクト評価基準のテーラーメイド化」「テーラーメイド化した基準の説明の実施」を同時に進める必要がありそうだということが見えてきた。

と、なると、社会的インパクトやその評価というのは、Theory of Changeあたりのフレームと一対で管理・更新、対外的に報告していくのが今のところは適切なやり方なのかもな、とも思いました。


最後に、この勉強会に参加頂いた皆様、ありがとうございました!
その後、飲み会でも色々と深く話せて、楽しい日曜の夜でした。

テーマ・切り口を変えて第二弾を、という声も頂いてますので、社会課題に取り組む全ての人達の為、微力ですが引き続き学び場を作っていければと思っております!
興味のある方、ぜひ巻き込まれて頂ければと思います〜。笑
(原則、セクターは不問ですが、当該分野に実務・プロボノ等で携わっている方にご参加頂いています。)

2015/09/12

隠れた情熱とつながる、ということ

今週水曜日から、大阪に帰省していました。
帰省中、InstagramやFacebook上ではただ飲み歩きばかりしているように見えてしまっていますが(苦笑)、仕事仲間や友人と対話する時間を持てたお陰で、自分の「隠れた情熱(Secret passion)」とつながることが出来ました。
本当、持つべきものは友達、仲間だと思った次第です。
*個人的な叙述ではありますが、もしよければお付き合い下さい。


今回の帰省では、社会マイノリティとしての出自を持っていたり、
困難な状況と向き合いながら活動している複数の友人と対話しているなかで、
「お前はエリートを助けたいのか、それともマイノリティや社会課題の当事者を助けたいのか、どっちなんだ?」
ということを非常に前向きな問い方で問うてもらっていると感じた。

同様に、起業家として活動している同世代の友人と話したり、
Theory of Changeを取り入れた対話プログラムを作っているなかで(結局仕事やないか)、
「自分の活動の顧客・受益者は結局誰で、どんなインパクトを与えたいのか」
ということを自分に問うことが出来た。


上記の問いを通して、自分自身が、2つの「隠れた情熱 Secret passion」とつながった。
社会意識の高いエリートの頭・心・行動を、きちんと社会課題解決につなぐ仕事をせねばならないということ。
そして、ゆくゆくは社会課題の渦中にいる人達から生まれる社会変革を目指したいという隠れた情熱が自分の中にはあること。

正しい問いには、正しい酒を。Minoh beer!


現在立ち上げ準備中(一部トライアル実施)のHarnessing for Changeは、社会課題解決に取り組む人・組織を支援する事業で、実際にはコミュニティづくりや実践者の想いと行動をより強くつなげる対話プログラムやラーニングジャーニー、リクルーティング及びキャリア支援(+よろず支援)を行っていく
つまり、直接の受益者は社会課題解決を志す広義でのエリートや、エリートが立ち上げたり働いたりしている組織が直接の受益者になる場合が圧倒的に多く、Harnessing for Change自体は社会課題に巻き込まれている個人や地域に何かを届けられる訳ではないということ。
(逆に言えば、多様なセクター・分野の実践者を支援・つなぐことによって、社会を面で変えていくということでもあるのですが。)

下手すれば、社会意識の高いエリートとだけお付き合いして、本来向き合うべき社会課題やそこに巻き込まれている人達のことが視野に入ってこなくなるような状況も生まれる可能性はあり、それは全力で回避したいと思っている。
同じ言葉が通じるエリート同士でただ盛り上がったり、メディア露出等PR・対外アピール(最悪の場合、単なる自己顕示どまり)が先行して、社会課題解決への取り組みとその査定・評価が後回しになるようなことだけは、絶対に避けねばと思う。
肌感覚としてだけれども、Harnessing for Changeに限らず、特に人と情報が集まる東京においては、この傾向が多少見受けられるのでは、と思うこともなくはない。


そのために、何をするか。
1つは、実践者と受益者をつなぐパスの精度を上げること。
つまり、社会企業やNPOの実践者の想いと行動をつなげる仕事において、受益者と受益者へのアプローチ方法、そこから生まれるインパクトをきちん定義するプログラムの開発に力を入れ、実施する。

もう1つは、課題に巻き込まれている人の中から社会起業家を生み出すということ。
課題の渦中にいる人・受益者を巻き込んだ経営計画策定の支援…と思ったが、このくらいのことなら優秀なプレイヤーは既にやっていると思う。
ので、もっと踏み込んで、社会的・経済的に難しい状況で生まれ育った子ども達や、そういう状況を経験した大人の中から社会起業家を生み出す教育プログラムや、それが出来る場を、将来的に作っていきたい。

自分も一応母子家庭という社会マイノリティから生まれ、今に至っている人間だからそのpathwayを再生産したいという風にも聞こえてしまいそうだが、社会マイノリティから市民性と起業家精神を強く持つ人達が連続的に出てくることが、インクルーシブな社会づくりにつながっていくのではという気はしている。
(このあたり、ちゃんと学術的に研究したい。)


さて、つべこべ言わずやれや!という声が聞こえてきそうですが、
トライアルとして実施済・予定のプログラムが複数ありますので、言葉と行動をより強くつなぎ、精度を上げていきたいと思っています!

次は、シルバーウイークの伊豆大島ラーニングジャーニー!楽しみだ。

2015/07/16

「53万の戦闘力」は政治を変えるのか?

最近、「もといさんは、Facebookよりもブログで発信した方が絶対にいいと思う」と、
勝手に慕っている人生の先輩に言って頂けたこともあり、
少しずつブログに考えたこと等々、書き溜めていくことにした。

今回のお話は、安保法案の件を受けて、3つ。
今の日本全体に対話する姿勢が少しだけ足りていなくて、私はまた役に立てなかったなということ。
ソーシャルとかNPOの界隈というか、アクティビズム・良き市民と政治はどうつながればいいのだろう、ということ。
そして最後に、自分の原点を思い出した、ということ。

良心と対話

安保法案の件で、母校同志社大学の学長が法案支持を表明し、教職員有志がそれを批判しているとのこと。

この場で、本件に対する賛否を述べるつもりはないのですが、考えたこと。
 
「一国の良心を育てる」という同志社の良心主義教育。
私の周りには、SNS等で安保法案反対を表明している人も一定数いるのですが、
この同志社の件は、良心VS良心の戦いなのだと見ています。
 
安全保障という切り口で良心を発揮する人もいれば、
人道主義の観点で良心を大切にする人もいて、
憲法の見地から良心を表現する人もいる。
 
ひとつひとつの良心が、どうすれば1つの方向を向いていけるのか。
どうすれば、良心が、より「既得権益保護から公共善へ」と広範をカバーできる良心に育っていけるのか。
(あるいはそれって本当に可能なのか?)
 
凄く難しい問題で、今回に関しては、少なくとも良心同士がきちんと向き合い、
対話する努力が国会、あるいは日本中に少し足りてなかったのかなと思う。
そして、その割には、結構大事なことを、エイヤーで決めてもうた気がしている。
自分は、いつもソーシャルイノベーションだの対話だの言っているくせに、
また何も出来なかったんだなと強く感じた。


日本のソーシャルセクターとアドボカシー

昔から、公私ともにNPOやソーシャルイシューに関心があって何か活動をしている人達と仲良くさせてもらっている。
今回の件でも、みんなSNSで本当に色んな意見や感情を発信しているし、
それらひとつひとつが、とても言葉として磨かれている。

しかしながら、言葉が磨かれていることと、下記の2つのことは実は別問題だったりする。

1つは、(今回であれば)「安全保障」「人道」「憲法」等のファクターを複眼的・科学的・人間的に捉え抜けているかどうか。
もう1つは、その意見を伝えねばならない人(今回だと議員やメディア、PMか?)に届けられているか。
(今の自分などは最悪で、明確に賛否を明らかにしない姿勢で、自分を安全な位置に置いてしまっている感さえもある。内省よりも前に猛省しろと自分に言いたい。)

今回のように国策や選挙結果等が大きく動く時に、
NPOや企業等でリーダーとして活動している、良き市民だなあと思える人が、
「自分は自分のフィールドでやれることをやる。まずは、そこから。」
的な意思表明をしておられることをしばしば見かける。

それは総論、素晴らしいと思うがしかし、
ホンマにそれでええんかいな、と思ってしまうことがある。
何故なら、そういう人は、既に自分のフィールドでめっちゃ頑張ってるから、
自分のフィールドに52万投下している力を気合で53万にしたところで、
恐らくその53万の戦闘力が、結局は国の趨勢を左右する政治に影響を与える可能性は高くないのではと自分は思っている。

論理と情を兼ね備え、素晴らしい言葉を持つ良き市民だからこそ、
(直接的に議員に立候補しないまでも)その優しさを含めた才覚が、
アドボカシーのような形で政治とつながるには何が必要なんやろうかと考えさせられた。

自分でソーシャル界隈(?)に長いこと居てて思うが、皆さん、自分の仕事でとても忙しい。
だからこそ、上記1つめのマクロな視点での学び合いを誰かが労を取って演出し、
2つめの、政治を変えるor維持する上でのクリティカルパスに、社会リーダーの力を効率よく投入する為の選択肢を整理する(=補助線を引く)ことが凄く大切なんだろうなと改めて考えた。

1については、例えばソーシャル界隈(?)の人達を集めて政治哲学や国際関係の勉強会するとかいう形で、Harnessing for Changeとしてもコンテンツとして取り上げられればと思う。
(NPO・ソーシャルビジネスに関わる人間こそ、社会観を鍛え続ける必要があるというのが私見)
2については例えばこちらのリンク先(新潟の法律事務所さん)のような形で、「今のフィールドにいながら」出来るアプローチが整理・周知されていけばよいなと思う。
*2は、安保法制反対がテーマですが、私の見解とは関係ありません。


奇骨ある一国の良心として

にしても、良心主義という大義に背くと見るや、
組織のトップが相手でも斬りかかる同志社の教職員すげえな、さながら幕末の京都やなと。
本件への賛否とかはさておき、これは凄いと思った。



社会起業家ブーム前の京都でのNPO活動は、さながら幕末みたいでおもしろかったなと。自分の原点のひとつ。

 
学長を実名で批判している教授名見てたら、私が学んだ社会学部社会学科の教授が、
ゼミ&卒論の指導教官含めてほとんど入っとるやないか!ということにも気付く。
そんな社会学科で4年も教育を受けたから、私みたいな変なソーシャル維新志士風の若者が社会に輩出(排出?w)されたんやろうなと思う。笑
 
維新の元(はじまり)という名前に込めてもらった想い、
奇骨たる一国の良心であれという期待に、まだまだ応えられていないこの悔しさ。

まずは、悔しさと向き合い、受け入れることから。
一度弾かれても、二段構えの斬撃を打ち込む、飛天御剣流の精神で攻め続けていきたいと思う。
諦めた方が負け、最後は気持ち!!!と技術!!!
(とりあえず、目先できそうなこととして、上記で書いた
「NPO・ソーシャルビジネスに関わる人間が社会観を鍛える場(仮)」はまじめに検討したいと思う。)

2015/06/30

iLEAPを卒業しました。


「"あしおと"を聴く場。
瞳を閉じて、心を落ち着けて、これまでの人生をゆっくりと振り返るということ。

絶好調、目標に向かって全速力で駆けていた時の足音。
色々な理由で二の足を踏んでしまった時の足音。

ただただ、一歩一歩を踏みしめるように歩いていた時の足音。
更には、恐怖や喪失等で足を止めていた時のことさえも振り返って、
それらを全て受け止め、向き合い、価値を認めてあげるということ。


そして、それらの内省を踏まえて、次の一歩を踏み出す方向と力の強さを決めて、
進みたい方向に進むための準備ができる時間、空間。

iLEAPのiは、小文字のi。

つまり、着飾らない素の自分、ありのままの自分。
LEAPは、飛び込む、リスクをとって挑戦する、という意味。

iLEAPは、ありのままで、自分の一歩を踏み出そうとしている人に、

一度止まって、これまでをぐっと振り返られる場をつくっている、シアトルのNPO。

素敵なアメリカ人の旦那さん、日本人の奥さんと、
眼鏡のお姉さんが中心になって、
世界中から集まる色んなユニークな人達を受け入れている場所であり、コミュニティ。


…それが、iLEAPなんです。」

iLEAP。3年間、何度も何度もホワイトボードに書き、込められた意味と想いを説明しました。
数日前、iLEAPとは何か、ということについて、
Future Innovators Gatheringというイベントのクロージングで、
少し話をする機会があった。

もはや若干うろ覚えではあるしブログ用に文語調にしてるんだけれども、
3年分の想いを込めて、こう語ってみた。


3年間、iLEAPのスタッフとして活動してきた中で、
一番うまく、一番短い時間でiLEAPの価値を発信することが出来たかなと思った。

そして、これが、私の、iLEAPスタッフとしての最後の言葉になった。

そう、2015年6月をもって、iLEAPを卒業することにしました。

今の想いが流れてしまわないように、
今の気持ちをストックしておく為に、久々にブログを書いてみることにします。

思い返せば、2012年にiLEAPにスタッフとして参画させて頂いてから、
沢山の奇跡に恵まれました。



心と頭と手足がつながっている、
本当に強くて暖かい人達ばかりのコミュニティに入れたこと。
社会起業家といわれる人達や、沢山のユニークな命の輝きと、
自分の人生が交わったこと。

そして、実務の面では、
アメリカのNPOのスタッフとして、たった1人・パートタイムでありながらも、
iLEAPの日本での顔的存在となり、
マーケティングにコミュニティ形成、新プロジェクト立ち上げと、
本当に幅広くチャレンジさせてもらえたこと。

これは、本当に、iLEAPコミュニティやそこに協力してくれる企業・大学等の
ステークホルダーの皆様、
私を信じて託してくれたシアトルの上司・同僚たちの
おかげでやり遂げられたことでした。

本当に本当に、感謝の言葉しか出てきません。
Big LEAP! 自分も立ち上げに携わらせてもらった若手社会人向けプログラムにて。
さて、そんなiLEAPを、何故また卒業するのか。

とても端的にいうと、
2012年にiLEAPのプログラムに初めて参加した時に描いたビジョンを、
形にしていく時期にきたと思ったから。


iLEAPと大きな志や理念は共有しながらも、
自分が持つ「個」がよりビビッドに出てきたこのタイミングだからこそ、
私が卒業した方が、社会全体の生態系が豊かになると思ったから。
それに、尽きるのかなあと思う。

当初、これだけ魂を燃やして取り組んできた仕事であり、
心を懸けたコミュニティであるiLEAPと離れることに恐れに似た気持ちもあったけど、
今となってはまたいずれ新しい関係性で、
一緒に仕事する日も来るだろうと思って、その日が楽しみ
でもあります。


今後は、まず、まあ一度少し立ち止まろうかと思っています。
これまでずっと走り続けてきた分の経験を内省して知恵に昇華させる為に。
(あとは、iLEAPを卒業したということで、
しばらくソーシャルセクターるろうにとして、
友達の会社やNPOとプロジェクトベースで色々協働してみる
のもええかなと思ってます。笑)

とはいえ、温めている企画もあるし、フルタイムの仕事ももちろん鋭意継続なので、
そんなに暮らしが大きく変わることはないと思うのですが、偶然との出会いを楽しみ、
自分と周りの人生に、更に更にクリエイティブな時代をもたらせるように、
open mindでいたいなと思います。

素敵な3年間をくれた、ブリット、泉さん、 恵さんや今とこれまでの同僚たち、
OiのみんなやMaru-ti、LE25やStarbacks(間違いにあらず、内輪ネタ)、珍道中画伯、
Nobushiga、SIFJやSIISの卒業生の皆様、石渡さん、
ETIC.やかものはしプロジェクトの皆様、TOMODACHIイニシアチブ様やドナー・サポーターの皆様、
立教、滋賀大はじめ大学関係者の皆様、その他お世話になった皆様に、感謝を込めて。


3年間のエンディングテーマは、最近和訳したこの詩で締めくくろうと思います。
2012年、くすぶり気味だった種火を、ここまで大きくしてくれたiLEAPに愛を込めて。

火が炎になる為には、薪と空間の両方が必要。
FIRE ~ Judy Brown
What makes a fire burn is space between the logs,a breathing space.
Too much of a good thing,too many logs packed in too tight can douse the flames almost as surely as a pail of water would.

So building fires requires attention to the spaces in between,as much as to the wood.

When we are able to build open spaces in the same way we have learned to pile on the logs, then we can come to see how it is fuel, and absence of the fuel together, that make fire possible.

We only need to lay a log lightly from time to time.

A fire grows simply because the space is there, with openings in which the flame that knows just how it wants to burn can find its way.

火を熾す為に本当に必要なのは、薪と薪の間にある、たしかな空間。
良かれと思って限られた空間に薪をぎゅうぎゅうに押し込むことは、
火にバケツで水をかけることと同じなのです。

そう、火を熾す為には薪をくべることと同様に、
薪と薪の間に、たしかな空間をつくってあげることが大切なのです。
薪がくべられるようになるだけでなく、
たしかな空間を作ることとのバランスを取れるようになって初めて、火を熾せるようになるのです。

私たちがほんとうにやるべきなのは、適切な時に、丁寧に薪を積み上げていくこと。
火は、たしかな空間-立ち止まる時間や遊び心-があるからこそ、
自らが放ちたい煌きに気付き、炎となっていくのです。
(訳:川端 元維)